嫌な言葉を言われる。
誰でもいつでも言われる可能性があります。
特に自分より上の立場の人がイライラしている場合。
下のものをいじめてやろう、からかってやろうとばかりに
嫌な言葉を言ってきます。
また最近ではいろいろな「ハラスメント」に対する
規制が流行っていますので
上の立場のものが何も言えないのをいいことに
下の立場のものが上の立場のものに嫌な言葉を言う
逆ハラスメント
なる風潮もあります。
お互いに思いやりをもって生きていく
日本人の美学はもはや通用しないのか。
いやいやそんなことはありません。
ここはひとつ嫌な言葉を言われた時でも聞き流して
生きていく方法を検討してみようではありませんか。
嫌な言葉が頭から離れない
人が失敗した時に限ってしゃしゃり出てきて
「ザマーミロw」
とか。
人が落ち込んでいる時にわーわー騒ぐ人とか。
世の中は攻撃的な人間で溢れています。
小学校1年生の時に習った「友達100人できるかな」
しかしどうして世の中は嫌な人間で溢れかえっていますので
100人とも付き合っていたら身がもちません。
そうなのです。
人付き合いを限定する
誰でも彼でもに構う必要はありません。
必要ない人とは
・挨拶とか
・困ったときのちょっとした助け合いとか
・さっと親切してあげてさっと去るとか
その程度の付き合いで十分です。
嫌なことを言われる理由は他人との距離が近すぎるからなのかもしれません。
怒りの感情を正しく「認識」する
最近の情報社会の風潮として
素早くリアクションできる人、言い返せる人が優秀というのがあります。
でも僕はそんなことは全然思いません。
そういう人に別に嫌悪感は抱きませんが
正直、小賢しいな、くらいにしか思いません。。
人の正しい心の動きというのはまずは自分の感情を知ることです。
よって嫌な言葉を言われてひとりでいるときに思い出して
いらいらしてしまうその「怒り」
それを感じないようにするのではなく、ありのままに怒りを感じる。
ただ感じる。
良いも悪いもありません。
良いも悪いも所詮は人の判断。その程度のものです。
よって怒りは怒り。良いも悪いもない。
ありのままにまずは自分の中で噛み締めましょう。
これは「怒りである」と。
それ以上に反応する必要はありません。
怒りは人間の自然な感情なのですから。
怒りを認識できたら
瞑想する。
通勤通学中の電車やバスのなか。
スマホばっかり見てませんか?
移動中のスマホ閲覧は
・首に負担がかかって
・頭への血流が悪くなって
・精神的に不安定になります
ここはひとつ、しずかに
・深呼吸して
・体の感触、感覚をひとつひとつ認識して
・瞑想してみる
のはいかがでしょうか。
瞑想。実はですね。
世界の各方面のトップをはしる方々も実践している
との実しやかな情報があります。
嫌な言葉を言われた時は
反応しない。
といっても無視するわけではありません。
先人に学びましょう。
嫌な言葉を言われた時のブッタさんの回答。
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あなたが家で客人に差し出した食事を
もしその客人が食べなければ
その食事は結局あなたのものになるだろう。
それと同じように
私はあなたが差し出した悪口を受け取らない(食べない)。
するとその悪口は、差し出したあなたのものだ。
そのまま持って帰るがよい。
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現代で↑↑↑そのままこれを言い返すと
「はあ~?何言ってんの?」っとか言われるでしょうけれど。
なぜならば悪口を言う人ってあまり頭が良くないのです。
これはアメリカの実験でも証明されていてですね。
知性を示す値が低い、下40%のグループは
なにか問題が発生した時にはほぼ必ず他人のせいにして悪口を言い
他人を馬鹿にする傾向がある、という主旨でした。
自分自身だって状況を変えることのできる一因子のはずなのに。
まさに悪口を言ってその悪口自体において自身の無能さを示している。
そのような状態になっているのですね。
僕も心当たりがあるので
まずは悪口を言わないように気をつけます(´ε`;)
嫌な言葉を聞き流す
嫌な言葉を聞き流すためには。
ちょっと関係ないように思うかもしれませんが。
承認欲求に気持ちが向きすぎているのかもしれません。
承認欲求=人に認められたい欲求
認められたい=ついつい他人と比較してしまう
認められたい=自分は有能で優れていると思い込む
認められたい=妥協できずに完璧主義になる
認められたい=評価されずに現状に不満を抱き他者に嫉妬する
そして、
認められない=怒り
となります。
嫌な言葉が頭から離れないのも
「自分だって本当は大事にされてもいいはずなのに
なんでそんなことを言われなければならないんだ」
という怒りなのでしょう。
これをこじらせると
「あ~はいはい、どうぜ自分なんて価値がありませんよ!
失敗したらとりあえず謝りますから!」
とあまり建設的ではない精神状態になってしまいます。
それでうまくいけばいいのですが大抵はうまくいかないですね。
なぜならば「認められたい」という欲求に対して
正しく対応できていないからです。
・テストで全て100点をとる
・スポーツで結果を残す、すごいプレーをする
・会社の利益の半分をたたきだす
上記は極端な具体例ですが
これらをしている人が認められないでしょうか?
いやそんなことはないでしょうね。
性格は別としてもすごいなあ~とは思われるはずです。
何をするかの目的は個人個人で選んでよい。
怒りを正しく認識できたならば
承認欲求を満たしてあげるためにも
「その目的はどのようにすれば達成できるか」
にエネルギーを注いでみるとよいでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
嫌なことを言われると頭から離れない。
僕にも多々経験があります。
そんなときは
・怒りを認識する。
瞑想して深呼吸して肺の膨らみや足の裏や背中の感覚。
体の感覚に意識を向けてみる。
・怒りを聞き流す
「自分の」目標をたてる。その目標に対してエネルギーを使う。
を意識してみてはいかがでしょうか。
なお人間の脳は否定形を理解できません。
例えば「怒らないように」といった場合は「怒る」を
どうしても頭に描いてしまいます。
なので否定するのではなくありのままに受け止める。
ああ、これが怒りなのだなと。
喜怒哀楽だって生きている間にしか経験できません。
そして認められることに大した意味はない。
認めたほうも認められたほうも、少し時間が経てば全てを忘れて大地に還ります。
皆様が自分の感情と向き合うことができるようになって
有意義な人生を送ることができるように祈っております。
それでは、また。
別の記事にてお会いいたしましょう。