恋愛

恋愛を諦めたら楽になった。恋愛を諦めた男の諦める方法とは。

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恋人みさき

恋愛。

平安時代の頃より貴族達が恋愛に日々悩みを募らせる様子が文献にも残っております。
農民は日々食べる事に精一杯だったようですが貴族は余裕があったので恋愛を楽しむことができたのですね。
近年の日本でも男女間の恋愛は盛んに行われ、ドラマなどの作品が多数放送されているのは周知の事実です。

がしかし、恋愛。

学生時代も終わろうとしている大学生。
20歳を過ぎても彼女がいたことがないが、もう疲れてしまった。
そんな人も恋愛をしなければならないのでしょうか。

一緒に考えてみましょう。

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恋愛を諦めたら楽になった

恋愛は義務ではない

まず言いたいのは恋愛は義務ではないということです。

世間の風潮としてリア充なる人たちがいて、たくさんの友達づきあいがあり、彼氏彼女の関係になる人たちがたくさんいる。
それが当たり前という感覚が出回っているのかもしれません。
が、恋愛はある一定の年齢までにこれこれしなければ、していなければおかしいなどという義務感で行うものではありません。

こういうおかしな価値観が根付いてしまったのには日本の学校教育にも責任の一端があると思っています。

日本の学校教育ではだいたい年齢が同じだと同じ程度の学力を求めるようになっています。
例えば小学校2年生なら九九ができて、中学生なら因数分解を知っていて、というように。
しかしそれはおかしな話で数学が得意な子供であれば小学生でも因数分解や微分積分を知っていてもいいと思うのですね。

このように日本は「年齢に相応する何か」を無言で国民に突きつけている社会とも言えます。
それは学歴然り、就職然り、恋愛然り、です。

まずはそのような既成概念があるということを知ることが第一歩です。

飾りじゃないのよ彼女は

ステータス思考と申しまして。
中身というよりは状態、つまり合格サインをもらって安心するタイプです。

・資格をとって安心
・受験に合格して安心
・彼女がいて安心

と考えるのですね。

しかし彼女は称号、ステータスではなく生きた生身の人間です。
時には思い通りにいかず泣いてしまったり、予想もしないような行動をしたりします。
もっとも恋愛ってそういうのが楽しいと思うのですがステータス思考の人であれば煩わしく感じるかも知れないですね。

でもね。
飾りじゃないのよ、彼女は?

生きた生身の人間とお付き合いするのはステータス思考じゃいけないと僕は思います。

恋愛を諦めたら楽になった

恋愛を諦めたら楽になった。
簡単ですよ。
諦めればいいのです。

恋愛を諦めるには恋愛にな~んにも期待しなければいいのです。

・相手が僕を私を好きになるわけがない
・僕が相手を好きになっても好きになってくれるわけがない
・お互い相思相愛でもうまくいくわけがない

と諦めればいいのです。

それができれば簡単だよ、という意見もあるでしょう。
恋愛を諦めるといってもコミュニケーションまで諦める必要はありません。
ときどき聞く意見なのですが、恋愛を諦めるには相手に嫌われてしまえばいい、という方もいます。

しかしながらこれはおすすめできません。
というのも僕自身も恋愛を諦めるために女子に嫌われてしまえば、ということで行動したことがあるのですが思った以上に恋愛以上の悪影響が大きいです。
そもそも仕事仲間であれば仕事にも影響が出てしまいますし。

なのでもしやるのであれば「事務的な用事がなければ女子には関わらない」程度に留めておいたほうがよさそうです。
お話はそれこそ普通にすればいい。

それでも恋愛を諦められない、女子を意識してしまう、という方には。

・まずは女子を用事がある時以外は「見ない」
・用事がある時以外は「話しかけない」
・女子が他の人、グループと楽しそうに話をしているときは「席をはずす」

をまずは心がけてみてください。

恋愛を妙に意識しているとついつい女子を見る、世間話をしようと話しかける、同じ部屋で女子が楽しそうに話をしているのを我慢する、なんて行動をしがちですがいずれもあなたの心に負担がかかってよろしくないです。
諦めの第一歩は「見ざる聞かざる言わざる」でございます。

恋愛を諦めた男は諦めた後どうする?

恋愛至上主義からの脱却

現代の日本では恋愛がかくも美しいものだと神格化されている風潮があります。
もはや宗教に近い。
そして一部の選ばれしものたちのみがそれらを楽しめるのだ、と言わんばかりです。

でもね。

むかしむかしからの恋愛って、すれ違ったらなんか気になった、とかちょっと話して気になったとか純情なものが多いのです。
今の恋愛ってなんだか飾り付けて飾り上げるイメージ。

恋愛はイベントとかお祭りじゃなくて本来は男女間の生活の一部なんですね。
会って話して目と目が合って、なんとなく意気投合するから一緒にいて。
手と手を握ってお互いのぬくもりを感じて想いを通わせたら言葉はいらないわ。
という感じなのです。

恋愛をイベント化しちゃうからそのあたりの感覚が掴みにくくなって勘違いしたストーカーさんとかが出てくるんだと僕は思うのですが。

それはさておき、恋愛のイベント化はイベントに乗り遅れた人を置き去りにしてしまうというデメリットを発生させます。

そして別に恋愛しなくてもひとは生きていけます。
変でもなんでもない。
ごく普通のことです。

生物の世界でもごく一部のオスがハーレムを作る反面、その他大勢のオスはシングルで独自に生きていくなんてことは珍しくありません。

女性を気にしないが身だしなみを整える

女性を気にしないのはいいのですが、社会的なコミュニケーションは最低限とっておくべきです。

恋愛を諦めた人がよくやりがちなのが、女子の目を気にしないあるいは嫌われてもいいのであれば不潔でもいいじゃない、と考えてしまうことです。
これはよろしくない。
なぜならば女子だけでなく男子、あるいは年上の先輩やご年配の上司の評判まで下げかねないからです。

男性の最低限の身だしなみとして
・1ヶ月に1回程度は整髪してもらう
・毎日お風呂に入って頭はシャンプー、体は石鹸、顔は洗顔フォームで洗う
・髭は毎日そる
・鼻毛を出ないようにきる
・爪を1週間に1回きる
・眉毛をととのえる
・外出時、寝癖は直す
・服は洗濯したものを着る

を心がけましょう。

清潔さは恋愛というより社会に生きるものとしてのまずは第一歩。

躾(しつけ)という文字も「身を美しく」というところから出来ております。

趣味に没頭する

趣味に没頭しましょう。

僕の話で恐縮ですが、僕は「スターオーシャン」というゲームが大好きです。
このゲーム、ストーリも好きだしアイテムをつくる生産系のシステムも好き。
昔からあるシリーズなのですが、それにしてはストーリもシステムもよく出来ていると思います。
もう新作が出るとそわそわしてしまいますね(笑)

というように「自分が楽しい」を優先させましょう。

あとは体を動かせばポジティブになれるので1時間程度、ゆったりと散歩するのもおすすめです。
季節を感じながら自分の楽しみなことを考えていればきっと毎日が楽しくなります。

恋愛を諦める方法とは

期待しない

期待は病理。

僕はそう思います。
能力の伴わない期待は病気みたいなものです。
そして現代は「夢は必ず叶う」という宗教じみた価値観のもと、全てにおいて期待することが求められています。
が、それはおかしい。
人にはそれぞれ与えられた能力、才能がありその範囲で生きていくものです。

例えばですね。

野球選手のイチローが「俺、サッカー下手なんだよ、なんとか努力しなきゃ!」と言っていたとしたらどうでしょう?
あなたはどう思いますか?

「いやいや一流の野球選手なんだから野球でがんばれよ!?」

って思いませんか?
僕もそう思います^^;
でも上記のような例を本当に多くの人がやってしまいがちなのです。

これは「自分の能力を知る」という分析の不足と「努力は夢は報われる」という誤った価値観の結果だと思います。

人付き合いを楽しむ

これはとある人気者さんのお話なのですが。

「俺は別に人を集めたいと思ったわけじゃない。が自分が楽しいおもしろいと思ったことをやっていると自然と人が集まったんだ。」

とのことでした。

人を楽しませようとか仲間に入れてもらおうとしたわけじゃなく。
自分が心底楽しいと思うことに対して一生懸命になっていたらいつの間にか人の輪の中心になっていた。

ん~なんというかこれが人付き合いの原点であり極意なのかもしれないですね^^

意味なんかなくたっていい、夢中になれるものを

また現代の病理として「実用主義・効率主義」というのもあります。
人と話していても自分の行動の理由をメリット含めて明快に答えることを求められている気がします。

しかしそれはとても息苦しい。

意味なんか説明できなくったって、自分が楽しいことは楽しい、で本来いいはずなのに。
そんな病理に侵された人が恋愛至上主義に巻き込まれがちですね。
恋愛だって本来、意味なんかないはずなのに。
もっと自由でいいと思います。

例えば僕が好きなゲームだって意味なんかないです。

・それやって何になるの?
・ゲーム作る人になればいいじゃない
・時間の無駄じゃない

という意見を多々いただきました。
が、では人類の経済的な活動の意味、本質は何かと問うとそれだって突き詰めれば結局意味は無いわけで。
お金を持っていようが恋愛しようが死は全ての人々にいつか訪れます。

というと「生きている間になんたらかんたら」とか言い始める人がいるのですが「生きている間に」と言うのであれば生きている間に自分が楽しいことをやるというのが成熟した社会において文化的に生きる我々の生きる意味ではないのかなあと僕は思います。

僕は結構効率の悪い人間です。

会社の階が違う人と話すのも電話じゃなくて直接会いに行くことが多いです。
そんな僕を見て、電話で済ませればいいのに、という人が必ずいるのですがどういうわけかそういう人は必ず太っています。

そんな人たちが僕をみて、「いいね~君は太ってなくて、あんなに食べてるのにね~ずるいなあ」とかわけのわからないことを言うのですが。
僕からすると「そうやって口だけ動かしているから太るわけで。ジムなんて行ってないで日常でさっさと動けや」と思うのでした。

電話で済ませるほうが効率がいいのかもしれません。
でも効率を優先させて太ってジムに行って、というのは全体としてみると非効率な気がしてなりません。

あなたはどう思いますか?

恋愛を諦めたら楽になった。恋愛を諦めた男の諦める方法とは。~まとめ~

恋愛なんてあってもなくてもどっちでもいい。
そういうスタンスで少し肩の力を抜いて楽に生きてみませんか?

あれがない、これがない、というのは日本ほど成熟した社会であれば実はそんなにないはずなのです。
でも経済は人間の不安、不満を糧にして成長するものですから何かしらそれらを作る必要がある。

恋愛至上主義って実はその一環なんじゃないのかなあと僕は推測しております。

それにしても毎度毎度そんな価値観に巻き込まれるのも疲れてしまいますので。
まあ、ほどよく付き合ってあげてもいいんじゃないでしょうか、くらいのゆる~いスタンスで生きていきませんか?

それではまた。

別の記事にてお会いいたしましょう。

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