生きるのが辛い。
でも死ぬのも怖い。
練炭を使った方法や火山の火口に一気に飛び込んだら楽かしらといろいろ死に方を想像するけれどやっぱりどれも怖いし。そもそも物を準備したり遠くまで行く気力もないし。もうどうしたらいいのだろう。
生きるのが辛いが死ぬのも怖い
人も第二次成長期=中学生を迎えるといろいろと悩みが発生します。主には人間関係ですね。そして人間関係の悩みはおそらく死ぬまで続きます。なぜならば人生において人間関係の煩わしさを避けることはとても難しいからです。出家すれば別かもしれませんが。
生きるのが辛い。そう感じるときも多々あるでしょう。僕もあります。
でも死ぬのも怖いですよね。たぶん数十秒とはいえ痛いし苦しいし耐えられない苦痛だろうし。そう考えると前にも後ろにも進めない閉塞感を感じてしまいます。ではやっぱり生きるのがいいのでしょうか。それとも辛い人生、死んで楽になるほうがいいのでしょうか?
生きるのが辛い原因は
あなたが生きるか死ぬかを僕は選べません。死ぬことを選んだとしても止めることもできません。僕ができるのはこの記事で一緒に考えてみることだけです。
先ほども書きましたが、生きるのが辛い原因はやはり人間関係ですよね。主に他人と意思疎通できない場合は悩んでしまいます。僕もよく悩みます。
・仲のいいグループが出来上がっていて輪の中に入れない
・そもそもみんな忙しそうで話しかけるタイミングがわからない
というところでしょうか。
他人の様子がわからない、他人から何を言われるか、何をされるかわからない。他人と意思疎通できない場合はそんな恐怖と常に向き合わなければなりません。他人の言動や行動は当然予測不能です。なので不安になる。そりゃ疲れますよね。この状態が長く続くとだんだん生きるのが辛くなってきます。誰かに相談しても頑張れとか甘えるなとか言われそうだし。
しかしながら他人と意思疎通ができないのは本当に甘えだけなのでしょうか?
生きるのが辛い原因は甘え?
生きるのが辛いなんて甘えだ。
このセリフを言う人、時々見かけます。みんな頑張っているんだからお前も頑張れということでしょうか。でもですね。正直に言うと僕はこのセリフの意味がわからないのですよ。それでも頑張って推測してみると、誰かに構って欲しくて命が危うい様子を訴えれば相手してくれるかしら、と、こういうことでしょうか。う~んやっぱり意味がわかりません。僕がそんなことをこれっぽっちも思ったことがないからでしょうね。でも僕も生きるのが辛いです。ということは先ほどの推測が正しいとするならば僕の場合は甘えが原因ではなさそうですね。
もう言っちゃうと僕の場合の生き辛さの原因はですね。心の情熱が切れてしまったのですよ。
人が何かをする時はやる気が必要です。その源、ガソリンみたいなのが情熱です。情熱は単体でずっと置いておくとろうそくの灯火のようにいつか消えます。ガソリンがつきれば車は動けないでしょう。重たいだけです。情熱が尽きれば何をやってもだめです。大きい声でしゃべれ、挨拶しろ、元気がない、と言われ人が寄ってきません。だから辛いのですね。では情熱は尽きるしか道はないのでしょうか。
そんなことはありません。
そうですね、人から分けてもらえばいいのです。他の人も情熱を持っています。なんなら何本も炎のように激しく燃やしている人もいます。すごいエネルギーです。
そうなのです。
自分で情熱を燃やすことができないならば人から分けてもらう、エネルギッシュな人に分けてもらえばいいのです。ここでいうエネルギッシュな人とは強引な人のことではありません。その人は一見物静かに見えたりするかもしれませんがものすごい情熱を心に秘めている場合がある。自分の情熱が尽きて生き辛さを感じてしまったときは優しくも情熱的な人を見つけて寄り添ってみる、というのも選択肢のひとつとしてありではないでしょうか。
今は周りにそんな人はいないように見えるかもしれません。本当にいないかもしれません。でもいつかきっと現れます。今、僕は、実生活でネット越しで、情熱を持った多くの人たちに囲まれています。(実際に取り囲まれているわけではないですよ、念のため)
情熱を持った人はいいですね。素敵です。
僕はただいまその灯火をおすそ分けしてもらうべく、心のろうそくを傾けている最中です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
まだ死にたい?生きるのが辛い?そうかもしれませんね。もしかしたら生きている限り辛いのかもしれません。でも情熱があるとほんの少しだけ、身体が温まって楽になる感覚があります。ほんの、少しですよ?ともあれ死にたいほど辛いときは睡眠や食事や人の温もりが足りないことがほとんどです。
とりあえず気になるあんなことやこんなことはおいといて、まずはおいしいものを食べてお風呂入って寝ちゃいましょう。それなりに食って寝ないと動けるか!くらいの開き直りが大切だなあと人生の後半戦を迎えつつある僕は思っています。
本記事があなたに寄り添えた内容であったならば嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。