おじいちゃん。
小さい頃はいろいろ遊んでくれた。
両親はしつけに厳しかったけれど祖父は優しかった。
いろんなところに連れて行ってくれたし、おいしいものも食べさせてくれた。
いつも味方でいてくれたおじいちゃん。
もう亡くなって何年も経つけれど、ふと思い出すときがある。
敬老の日に何か贈り物できないかなあ。
亡くなった祖父にも敬老の日を。
僕の祖父は既になくなっています。
優しいおじいちゃんだったのですが僕が小さい頃に病気をして入院。
最後まで元気だったおじいちゃんですが亡くなる数日前は面会できませんでした。
次にあったのがお葬式での棺の中。
棺の中で死んでいる人って不思議なんですね。
動いていないんですよ。
当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、なんていうのかな。
生きている人であれば止まっていても動いているんです。
寝ていてもじっと立っていても、鼓動を感じるっていうのかな。
棺の中で横たわっている祖父にはそれが全く感じられませんでした。
まるで蝋人形のように。
幼い僕はその違和感に押しつぶされそうになったことをよく覚えています。
人はなぜ死ぬのだろう?
死んだら会えないの?
もやもやしながら周りの大人に聞いてもはぐらかされるだけだし。
死んだらつながりがなくなるのだろうか?
いやいや。
死んだおじいちゃんに敬老の日に贈り物をしてもいいじゃないか。
墓前に何かお供え物をしてみればいいのだ。
敬老の日、おじいちゃんへの贈り物
亡くなった祖父への贈り物は何がいいだろう。
父であれば愛用品を知っていたのでなんとなくわかるのですが祖父となると正直子供の頃しか会ったことがないし。
愛用品と言われても。
仕方ないので母に聞いてみると「知らない」との回答が。
仲が悪かったんかなあ・・・?
おじいちゃんの口癖といえば思い出すのは「わしゃなんもいらんよ~あんたは自分のことを考えなさい」だったなあ。
これじゃ何がほしいかわからんじゃないか。
と思ったが。
そういえばいじいちゃん、将棋が好きだったな。
よく小さいころの僕と飛車角金銀桂馬落ちで対局して、僕、負けてたなあ。
そうかあ。
墓参りがてら、墓前で僕の子供と将棋でも指してみるか。
亡くなったおじいちゃんへの贈り物のおすすめは
故人がほしがるものなんて正確にはわかりませんし。
プレゼントしても反応があるわけでもないので正解がわからんですが。
もうこうなったら
「わしゃなんもいらんよ~あんたは自分のことを考えなさい」
という生前のお言葉に甘えて、僕があげたらいいと思うものを勝手に考えることにしました。
いざ、子供と墓参りで青空墓前将棋さしです。
本将棋ですよ、もちろん。金ころがしとかはさみ将棋ではない。
他の墓参りしている人の目が若干気になりますがそこはスルーの方向で。
子供は駒をフル装備。
僕は飛車角金銀桂馬香車歩落ちで対戦です。
言い換えると、つまり僕は「王」しか持っていません。
王様、一人旅。ふふ。
対局は10分程度で終わりました。
僕が勝ちました(何)
子供はまだ5歳なので駒の使い方を知らなかったのですね。
9歳のお兄ちゃんに教わりながら駒を動かしていました。
容赦なく勝つ僕は大人気ないなあと思いながら、対局中、気のせいかおじいちゃんの笑い声が聞こえたような気がしました。
喜んでくれたのかなあ。
俺もそのうちいくけれど。
それまでは精一杯今を生きていくよ。
ありがとな~じいちゃん。
まとめ
亡くなった祖父にも贈り物をすることは可能です。
贈り物というか物に限らずなんかこう、いい感じの何かであればいいじゃないかなあ?
おじいちゃん、そんなに欲が張っているイメージがなかったし。
なにしても喜んでくれたと思う。
そんな人と人生で関わることができたのは、誠に僥倖、であったのかもしれませんな。
あなたのおじいちゃんとの思いではどんなものですか?
それをしたら、おじいちゃんは喜んでくれるだろうか?
なんとなくですが、そうやって気にかけることが故人への何よりの贈り物のような気がしています。
それではまた。
別の記事にてお会いいたしましょう。
別記事もご参照ください。